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ポイ捨て状況を見て思うこと...。

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 朝の散歩道でいつも見る光景ですが、ある交差点の信号待ちで停止時にポイ捨てする人が絶えず、まるでゴミ捨て場の状態になっています。  写真のように、最近ではレジ袋ごと捨てる人までいます。年に数回、県か市で清掃してくれているようですが、ハエを追うようなもので、キレイに掃除した尻からポイ捨てしていくようです。  このような光景は、どこの交差点、否、どこにでも見受けられる光景だと思います。  しかし、これほどマナーの悪い人が多いと、ふと思ったことが今問題の新型コロナウイルス感染症について、このこと(マナー違反)が感染防止対策にも大きく影響しているように思えてなりません。  先日も「マスク拒否男」と飛行機内やホテルでトラブルになった出来事がありましたが、マスク着用をお願いしていても「強制でも義務でもない」からとマスクの着用を拒否するなんて事は言語道断ですが、マナー違反をする人があまりにも多く、どうしようもないのが実情です。  これでは、政府がどんなに対策を講じても、終息にはほど遠いのではないでしょうか。  0(ゼロ)に0をかけても(0×0=0)0ですが、0に1をかければ(0×1=1)1になります。よって、ひとりでもマナーの悪い感染者がいれば、潜伏期間に感染者が倍々ゲームで激増し、現状のように手に負えなくなってしまいます。  要するに、マナー違反者をゼロにするのは不可能です。だから、ワクチンや薬が無い状況では、自己防衛により他人との距離を取る(ソーシャルディスタンス)以外に成す術はないと言えるでしょう。

新型コロナウイルスの影響は?

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 このブログの更新が本当に久しぶりとなってしまいました。最近SNSは、どうもFaceBookやTwitterに頼ってしまい、このブログの更新にまで及んでいないのが現状です。  さて、そこで今回、今大騒ぎされ世界中に拡がってしまった新型コロナウイルスについて、感染の影響はどこまで及ぶのか、いつまで続くのか心配になってきたので、このブログに記録しておきたいと思います。  まず、家庭で(私や家内が)一番問題なのが孫守りという避けられない現実です。3/2から小学校が臨時休校となって一週間が経過しますが、予想外の状況となって、更に体調管理に気を付けなければと思っているところです。  そして、その孫守りについてですが、小学校3年生までは学童保育で見てもらえるのですが、4年生からは見てもらえないという現実です。ただ学童保育で見てもらえるのは良いのですが、狭い教室に1年生から3年生までの生徒50名ほど詰め込んで、これで果たしてコロナ対策になるのだろうかと疑問に思えてなりません。  そんな現状でも学童保育がなければ共働き家庭がまた大変です。うちは家が近いので祖父母宅へ預けるという選択肢がありますが、祖父母と離れた共働きの核家族世帯は本当に大変だと思います。でも今は、よそ様の心配をしている余裕がありません。  また、学校を臨時休校にすることでコロナ対策に成るか成らないかは結果を見ないと分からないと思います。  しかし、これ以上感染拡大が続いて人の移動が減り、ほとんどのイベントが中止されたり無観客開催の状況が続いたりすると、反って経済への影響が懸念されます。経済損失への影響が少ないうちに早く終息することを祈るばかりです。

孫守りをして思うこと

 定年後、孫守りをする機会が増え、孫たちの行動を見ていて感じることですが、私が子どもの頃とは随分違うことに驚きました。  私の孫は女の子二人姉妹で、上は小学4年生、下は同3年生で共に体を動かすことが大好きな盛りです。平日学校が終わって帰宅後の普段は、姉妹二人で仲良く宿題をして、それが終われば庭で遊んだり、雨の日は図書館で借りた本を読んだりテレビを観て過ごしています。  まぁ、平日はこれでも良いかとは思うのですが、問題は休日の過ごし方です。娘夫婦は土日の関係がない仕事に就いているため、たまにしか丸1日子どもと接する機会がありません。やむを得ず、娘夫婦が見れない休日は私たち老夫婦で孫守りをすることになります  そんな休日の孫たちの過ごし方を見ていて感じるのですが、私たちの時代と違って、子どもたちだけで遊べる場所が皆無だということです。外に出れば大人が便利に使える場所ばかりで、子どもたちが安全に遊べる場所は近くには在りません。  例えば、公園まで行くにしても道路は車ばかりで、子どもたちだけで行かせるには不安を感じます。もっと低学年ならなおさらでしょう。そのため、どこに行くにも大人が常に同行しなければならないことになります。  仕方なく庭で遊ぶにしても、住宅地では問題があります。たまに孫が同級生の友達を自宅に誘って庭で遊ぶこともあるのですが、騒がしいため近隣に迷惑にならないかと思うこともしばしばです。  この状況が1日だけならどうにか過ごせるのですが、連休や夏休み等の長期休日ともなると耐えられません。お守りする大人も大変なのですが、それ以上に子どもたちがふびんでなりません。  一昨日の子どもたちの視力が低下しているとのニュースからも「 外遊びの重要性 」が指摘されていますが、そうは言われても、子どもたちだけで行ける範囲に外遊びのできる場所はどこにも在りません。 子どもの視力低下が増えている!原因と予防法について  成長期の子を持つ若い親御さんは、このことをどのように受け止められているのでしょう。  近年、激増している家庭内暴力、児童虐待、引きこもり、ひいては家庭内殺人や通り魔等の鬼畜の増加に至るまで、全てとは言いませんが、子どもが成長期におかれた不適切な環境状況により、このような事例が多発する現状となっているように思えてなりません。 ...

子ども達だけで安全に集える場所が無い!

 毎年のようにこの時期になると思うことであるが、もう年賀状の季節がやってきました。ぶっちゃけ一年の経つのが速すぎます。あれもしたいこれもしたいと思うことが多すぎるからなのでしょうか。  1日は24時間と決まっていて、このことだけを考えると随分長いように感じるのに、それでは今日「これとこれとしよう」と決めて1日のスタートを切っても、あっという間に時間が過ぎ去って、決めた一つしか出来なかったり、一つもできなかったりとスムーズにいきません。  年金生活となって時間にゆとりができたはずなのに、他の何かに時間が奪われているようです。  まず、一つ考えられることは、孫守り時間です。年金生活になる前は、このことまで思っていませんでした。これが不意に自分の時間を奪われる一番問題の一つとなっています。  子ども夫婦の共働きは良いというか止むを得ませんが、それが私たち「じいばあ」の時間を奪われることになるとは、本当に夢にも思っていませんでした。  その孫たちも今では小学校高学年になり、赤子のようにあやす必要はありませんが、家を留守にできない、何泊かの旅行にも行けない、ちょっと辛いものがあります。  毎日、月曜日から金曜日まで学校に行ってくれている間はまだ良いのですが、土・日がちょっと疲れます。3連休や夏休み等の長期休日ともなれば、もう最悪!自分たち「じいばあ」の時間は全くありません。  まだ、放課後や休日の孫たちの自由時間に「じいばあ」がいなくても友達同士みんなで集って楽しく遊び学べる場所があれば良いのですが、近くにそんな気の利いた場所はどこにも在りません。みんなどうしているのでしょう?  よくよく考えてみると、戸外はどこも大人社会で、子ども達だけで安全に集える場所など本当にどこにも在りません。  今では一歩外に出ると「一寸先は闇」大人だって何が起こるか分からない時代です。それなのに子ども達だけで安全に集える場所が無いのは、これは絶対政治の責任だと思います。  子どもは子ども達だけで遊ぶ時間を与えなければ、豊かな情操教育を受ける機会を失ってあっという間に大人になり、変な鬼畜に育ててしまいます。  便利さだけを追い求める大人社会もいいですが、もういい加減にこの辺で改めなければ、大人も安心して外に出られない時代が来るでしょう。

現在社会の恐怖

 なんだかんだとしているうちに、あっという間に立春を過ぎてしまいました。そして、今年も年初めから毎日のように報道される殺人事件。日本は一体どうなってしまったのか?!また、将来の日本はこのままで大丈夫なのか?!不安感を覚えています。   児童虐待、教師の買春、警察官の犯罪、多発する家族間殺人、そして、恐ろしい通り魔殺人等々、私が青春時代を過ごした頃の30年~40年前とは比較にならないほどにこれらの事件が激増しています。   どうしてこんな日本になってしまったのか?!原因を一言で決めつけることはできませんが、敢えて一括りにするならば、それは 「誤った教育」 にあると思います。  誤った教育が学力競争社会を産み、他人(ひと)の痛みの分からない大人を産出しているように思います。有名大学を卒業しても、社会で通用しない使い物にならないという事案が多数発生していることから教育の誤りを指摘する先生方もいます。   不足しているのは「学力の教育」ではなく、必要なのは感情を豊かにする 「情操教育」 です。  しかし、一口に情操教育の向上を図ろうとしても、現在出来上がってしまった歪んだ大人社会から脱却するためには、これから更に4~50年はかかるでしょう。  まず、それには大人社会を優先させるがあまりに失ってしまった子ども達だけで安全に戸外で遊べる場所と環境を取り戻すことから始めなければなりません。  鬼畜が出没する環境では安心して遊べません。情操は、子ども達だけで遊びの中から育っていくものだから、そのような環境のない現在社会に恐怖さえ感じます。  せめて最低限、自分さえ正しい行いをしている限り自分の身は確実に守れる社会の構築が望まれます。

核家族の逝く末

 高齢化社会の激増に伴い、それに比例して老老介護が増えています。老人福祉施設を利用できれば問題が少なくなりますが、事情があって施設の利用が困難な場合は老夫婦のどちらかが介護することになります。  また、親子の関係で親が老いて子が介護する家庭も珍しくありません。老人福祉施設の少ない昔は、どこの家庭でも年老いた両親の面倒を子ども夫婦が見るのが当然の習わしでした。  しかし、核家族が当り前の時代となった現在社会では、親から子に、子から孫に継承していくことが無くなり、親は親、子は子という家族関係しかなく、お互いに家庭の事情が伴って親子関係すら希薄になり、親の現状を知る由もない子ども夫婦などが激増しています。  たとえ娘がいたとしても、遠方に嫁いでいるため介護したくても困難な状況におかれている場合もあるでしょう。そんな核家族の実態が、誰もが老老介護に至る悪循環に陥っているのです。  人は誰もが必ず老い、確実に死を迎えます。そのこと自体には誰も何一つ疑う余地は無いでしょう。でも、そこに至る過程には人それぞれに複雑な事情が絡み合い、老いかた死にかたは個々に皆違います。  核家族は、親から子に、子から孫に継承していく順送りの社会を断ち切って、いつか地獄のような老老介護の日を迎え、苦しみ抜いて逝かなければならない恐怖の社会を作ってしまっているのです。  近年では老老介護に耐え切れず、不幸にして殺人にまで至ってしまうケースが後を絶ちません。これは他人事では済まされないのです。人は誰もが必ず老い、確実に死を迎えるのですから…。

自然と人類の調和

  人間は間違った考えで、動物に対して無謀な扱いをしていることに全く気づいていません。この地球を人類だけのものと錯覚しているようです。  みなさんは、人間が動物に対して、次のような行為をしていることを知って(気づいて)いますか? 行為内容 事 例 発生する問題 餌付け 動物愛護のつもりで安易に行われている餌やり〔ハト等〕 異常繁殖によるフン害等、生活環境被害 ペット 癒し効果があるからと愛がん用として飼養〔アライグマ等〕 飼いきれずに山野へ放すことで起こる農業及び生活環境被害 乱 獲 有益なものが採取可能だからとむやみに行われる密猟(密漁)〔アフリカゾウ等〕 象牙、毛皮、グルメ、漢方薬等々の採取で絶滅または絶滅を危惧 保 護 絶滅危惧種という理由だけで一部の動物に実施される人口繁殖〔トキ、コウノトリ等〕 一部の種を人工繁殖させることで起こる過剰繁殖した場合の生態系への悪影響 有害捕獲 農林水産物等への食害等被害の防止目的に行政が行う捕獲〔イノシシ、カワウ等〕 人的な圧力による生息区域の移動、拡大等、自然生態系の破壊 観光飼養 観光客の誘致を目的に行う餌付け飼養〔ニホンザル等〕 過剰繁殖に伴う周辺農林業等への被害及び観光客等への加害 ※ここでいう動物とは、野生動物のみならず飼い主から捨てられて野生化した犬や猫も含みます。ただし、家畜として飼養されている動物「牛、豚、羊、馬、鶏等」は含みません。(理由:人による増減操作が可能なため。)   動物に対するこのような行為は、すべて人間のエゴイズムそのものと言っても過言ではないでしょう。 人間とは「いのち」をもてあそぶ動物なのか❓   人類よりも遥か遠い有史以前からこの地球上に生まれ、生命を育んできた我々人類の祖先に対し、何という無謀な行為をするのでしょう。こんな理不尽な行為は許されるはずはなく、このような行為を続けていると、いずれ我々人類自身が絶滅危惧種となるでしょう。  生命が宿る自然環境に干渉し、人間だけが発展しようと考えたところで、到底不可能です。我々人類がどんな力をもってしても自然や生命を操作することなど絶対に出来ません。人類の生きていく道は、自然との調和を保っていくことなのです。  生命が宿る自然は、根本的に人間が干渉できる対象ではないのです。人間も自然の一部なのだから、自然そのもの...

守れ!第一次産業

 日本は食糧を海外に依存しすぎています。特に、農業の後継者不足が深刻です。今、何とかしなければ、気候変動による不作等で輸入国が輸出抑制をするようなことにでもなれば、たちまち日本人は飢え死にです。  さらに、今、政府は盛んに「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」参加に意欲を示しています。これは、加盟国間の経済制度、即ち、サービス、人の移動、基準認証などに於ける整合性を図り、高い水準の関税撤廃をめざしているもので、2015年までに協定国間の貿易において、工業品、農業品にかかわらず、例外品目の極めて少ない関税撤廃と貿易自由化の実現をめざしたFTA(自由貿易協定)を包括するEPA(経済連携協定)であるとされています。  今までは農作物や畜産品等は、高い関税をかけて守られてきましたが、TPPに参加することになれば、原則関税ゼロとなり、日本の農業に大きな影響が及ぶのは避けられません。  そのため、今でも日本の農業は衰退の一途をたどっている状況の中で、TPPの参加による関税完全撤廃となれば、壊滅的打撃を受けるのは目に見えています。このままでは、冒頭で述べたとおり、不測の事態が起こった場合、絶対に対応できません。  政府は、このTPPへの参加と日本農業の保護との両立をどう対応するのかが懸念されるところです。  しかし、全体の国益を考慮すれば、今、TPPに参加しなければ、資源のない日本はすぐに取り残されてしまうでしょう。そう考えれば、農業従事者が海外の農業品に負けないものを開発することで対抗できる良い機会と捉え、このTPPを逆手に利用して、国内での消費はもとより、海外の富裕層への購買意欲の向上を図り、輸出増加に繋げて発展してほしいと期待しています。

これって教育!?

 今日、JR西日本のいつも利用する小さな駅のきっぷ売り場と改札口で、父親らしき人( T )と男の子( K )の驚きの光景がありました。Kはまだ小学校低学年程度だったと思います。Tが先に自分のきっぷを買って、Kには自分で買わせていたのです。  そこまでは良かったのですが…。なんと!その後のTの様相が豹変!何か腹の虫の居所が悪かったのか?きっぷを買うまでの一部始終は次のとおりでした。Tの声はプラットホームに響き渡っていました。   T 「何してんのよ!はよ買わんかよぉ!」   K 「わからん…??」   T 「何がわからんのよ!?はよせな(早くしないと)ほって(そのままにして)行くぞぉ!」   ここで、Tが先に改札口を通過。   K 「待ってよぉ!だってよぉ…分からんもんよぉ…。」(半泣き)   T 「160円の半分はいくらよ!そんなんも分からんのかぁ!?」(こども半額)   K 「???…」(大泣き)   T 「分からんかったら駅員さんに教えてもらえっ!!」   K 「???わ・か・ら・ん!!」   T 「分からんかったら教えてもらえって言うてるやろ!!」(罵声にエスカレート)  ここまでのやり取りが数回繰り返し行われ、電車到着のアナウンスが流れて、結局、Tが急いでKのきっぷを買う始末。  子どもがきっぷの買い方が分からないのであれば、同行の保護者が父親なら、まず、父親自身が分かるまで教えてあげるのが本当の教育だと思うのですが…。 駅員さんに教えてもらえとは…保護者の自分は何なの?  大衆の面前で分からないと泣いている子どもに対してこの接し方では、虐待じゃないですか?このTは、「親」になれる資格はないと思います。  子どもは親を選べないから…。このままでは、親を好きになれない子どもとなって親への憎悪が増幅され、ひいては親をも殺してしまいかねない発展事案への懸念が残ります。いや、すでにそんな事案が多発しているではありませんか。  親になるための試験に合格した者でなければ親にはなれない法律を作らないといけない時代が来ましたね!

程度の知らない人

 喧嘩がエスカレートするあまり、殴る蹴るの果てに相手を殺してしまったり泣く子を黙らせたい親のわがままな体罰で死ぬまで攻め続けたりと、「 程度の知らない人 」が多くなったと思いませんか?  未成年者に多いのが最初の事例で、初めはいたずらや冗談のつもりがエスカレートして口喧嘩となり、そこから殴る蹴るの大喧嘩に発展して、挙句の果てには相手を死に至らしめてしまう。  また、若い夫婦に多いのが後の事例で、これも最初はしつけのつもりが度を越して、泣きわめく我が子を黙らせたい思いから起こす体罰が徐々に虐待に発展し、それを繰り返すうちに限度を超えてしまう。   このような事件を起こしてしまう人の背景には一体何があるのでしょう。   まず、思いつくのは人の痛みが分からないということでしょうか。  取り返しのつかない事になるまでエスカレートする前に、相手の立場に立って、「自分が言われたら…自分がされたらどう思うか」を考えてみるべきですが、たぶん、このような冷静な判断ができない人なのだと思います。  それでは、なぜ、このような「 程度の知らない人 」を作ってしまうのでしょう。そこには、幼児期のしつけや情操教育が如何に行われたかが大きな要素となっていると思うのです。遅くとも小学校に入学するまでに教育されてしかるべきではないでしょうか。  しかし、中には、夫婦共働きで家族間の交流が少ない環境で育ち、情操教育など受けられずに「身体だけが大人」の人を作ってしまう家庭も多いと思います。それでも、祖父母らが家にいて、子どもの面倒をみることができる家庭環境にある場合は、このようなことは起こりにくいと思うのです。  それが、核家族化が進んでしまった現在では、すでにそんな核家族で育った大人が結婚して子どもができ、その子らが大人になっている現況です。そこには、祖父母は存在しません。人は施設で老い病院で死んでいく時代になったのです。  だから、 人が生まれ、どのようにして死んでいくのかを知らない人がたくさんいます。 核家族のため、また、兄弟がいない一人っ子が多いため、人が生まれ、成長し、老いていくプロセスを互いに分かち合うことができないことから、 生まれてくる喜びや死んでいく悲しみを知る由もありません。  このような家庭環境では情操教育などできるはずはなく、無感動で、人の痛...

鉄は熱いうちに打て

「女子高生が教室で同級生刺し重傷!殺人未遂で現行犯逮捕!」このニュースに驚愕 女子高生が教室で同級生刺し重傷 殺人未遂で現行犯逮捕 横浜 2010年6月15日14時39分配信 産経新聞   15日午後0時25分ごろ、横浜市港北区篠原台町の私立清心女子高校から、「生徒が同級生に刃物で刺された」と119番通報があった。神奈川県警港北署員が駆けつけると、高校1年の女子生徒(15)が教室で同級生に右脇腹を刃物で刺されていた。女子生徒は病院に運ばれたが、重傷という。同署員が同級生の女子生徒(15)から事情を聴いたところ、刺した事実を認めたため、殺人未遂の現行犯で逮捕した。  事件発生時は、2時間目の国語の授業中で、女性教諭が黒板に向かっていたところ、教室の後ろ側が騒がしいため振り返ると、女子生徒が刺されていたという。  もう…これは異常事態ですね。動機が何であれ、今の子どもたちが如何に道徳意識に欠けるかを露呈したように思います。  しかも、女子生徒(男子生徒でも異常ですが…)が、学校に刃物持参(明らかに計画的)で登校し、授業中(相当な殺意)に犯行に及ぶなんて…。私には想定すら出来ません。  これはもう…絶対に異常事態です。子どもたちの道徳教育を早急に見直さなければ、この子たちが大人になって無秩序な社会を産み出し、この子ら自身が不幸を背負うことになりかねません。   「 鉄は熱いうちに打て! 」 と言います。(この意味は「鉄は、熱して軟らかいうちに鍛えよ。精神が柔軟で、吸収する力のある若いうちに鍛えるべきである、というたとえ。」であり、決して叩いたりして虐待してはいけませんよ!)  小さい頃から、人として社会(ここでいう社会とは、集団社会のことであり、保育所等も含みます。)に出る前に、人前で、あるいは相手(他人)に 「やって善い事と悪い事」 の区別がつけられるように、このことだけを意識して育ててほしいと思います。  この 「善悪の区別ができること」 が、人として生きていくうえで最低限必要なルールです。これさえできれば、他の学力等は成長とともに自然に身についていくものだと思います。善悪の区別ができない子どもに、たとえ学力や技術を身につけさせたとしても、その能力を悪事に使ってしまうことになっては元も子もありません。  ここで、子どもたちを正しく育てる...