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雨上がり遠くの山も近く見え

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今朝の気温は24.5℃、湿度85%、風速3m。比較的爽やかでした。 昨日の大雨には参ったが、今朝はすっかり晴れて、気持ちの良い朝を迎えることができました。 大雨により少しは地面も潤ったことで、農作物にも良い影響が出たことでしょう。 このまま夏を健やかに過ごせれば、それだけで幸せだ。 「雨上がり 遠くの山も 近く見え」 ホホホΨ(-◇-)Ψホホホ~~ (^^♪ ポイポイポイ ポイポイポイ 食べたらポイ 飲んだらポイ 吸ったら ポイ ポイポイポイ ポイポイポイ 道路は一面ポイ捨て場 ポイポイポイ  ポイポイポイ 食べたらポイ 飲んだらポイ 吸ったらポイ ポイポイポイ ポイポイポイ (●>H<●)ノ満腹ぢゃァァ♪ 「ポイ捨てを する人いつも 決まってる」 Ψ(ー´)ΨΨ(`▽´)ΨΨ(`ー)ψケケケケ

これって教育!?

 今日、JR西日本のいつも利用する小さな駅のきっぷ売り場と改札口で、父親らしき人( T )と男の子( K )の驚きの光景がありました。Kはまだ小学校低学年程度だったと思います。Tが先に自分のきっぷを買って、Kには自分で買わせていたのです。  そこまでは良かったのですが…。なんと!その後のTの様相が豹変!何か腹の虫の居所が悪かったのか?きっぷを買うまでの一部始終は次のとおりでした。Tの声はプラットホームに響き渡っていました。   T 「何してんのよ!はよ買わんかよぉ!」   K 「わからん…??」   T 「何がわからんのよ!?はよせな(早くしないと)ほって(そのままにして)行くぞぉ!」   ここで、Tが先に改札口を通過。   K 「待ってよぉ!だってよぉ…分からんもんよぉ…。」(半泣き)   T 「160円の半分はいくらよ!そんなんも分からんのかぁ!?」(こども半額)   K 「???…」(大泣き)   T 「分からんかったら駅員さんに教えてもらえっ!!」   K 「???わ・か・ら・ん!!」   T 「分からんかったら教えてもらえって言うてるやろ!!」(罵声にエスカレート)  ここまでのやり取りが数回繰り返し行われ、電車到着のアナウンスが流れて、結局、Tが急いでKのきっぷを買う始末。  子どもがきっぷの買い方が分からないのであれば、同行の保護者が父親なら、まず、父親自身が分かるまで教えてあげるのが本当の教育だと思うのですが…。 駅員さんに教えてもらえとは…保護者の自分は何なの?  大衆の面前で分からないと泣いている子どもに対してこの接し方では、虐待じゃないですか?このTは、「親」になれる資格はないと思います。  子どもは親を選べないから…。このままでは、親を好きになれない子どもとなって親への憎悪が増幅され、ひいては親をも殺してしまいかねない発展事案への懸念が残ります。いや、すでにそんな事案が多発しているではありませんか。  親になるための試験に合格した者でなければ親にはなれない法律を作らないといけない時代が来ましたね!

程度の知らない人

 喧嘩がエスカレートするあまり、殴る蹴るの果てに相手を殺してしまったり泣く子を黙らせたい親のわがままな体罰で死ぬまで攻め続けたりと、「 程度の知らない人 」が多くなったと思いませんか?  未成年者に多いのが最初の事例で、初めはいたずらや冗談のつもりがエスカレートして口喧嘩となり、そこから殴る蹴るの大喧嘩に発展して、挙句の果てには相手を死に至らしめてしまう。  また、若い夫婦に多いのが後の事例で、これも最初はしつけのつもりが度を越して、泣きわめく我が子を黙らせたい思いから起こす体罰が徐々に虐待に発展し、それを繰り返すうちに限度を超えてしまう。   このような事件を起こしてしまう人の背景には一体何があるのでしょう。   まず、思いつくのは人の痛みが分からないということでしょうか。  取り返しのつかない事になるまでエスカレートする前に、相手の立場に立って、「自分が言われたら…自分がされたらどう思うか」を考えてみるべきですが、たぶん、このような冷静な判断ができない人なのだと思います。  それでは、なぜ、このような「 程度の知らない人 」を作ってしまうのでしょう。そこには、幼児期のしつけや情操教育が如何に行われたかが大きな要素となっていると思うのです。遅くとも小学校に入学するまでに教育されてしかるべきではないでしょうか。  しかし、中には、夫婦共働きで家族間の交流が少ない環境で育ち、情操教育など受けられずに「身体だけが大人」の人を作ってしまう家庭も多いと思います。それでも、祖父母らが家にいて、子どもの面倒をみることができる家庭環境にある場合は、このようなことは起こりにくいと思うのです。  それが、核家族化が進んでしまった現在では、すでにそんな核家族で育った大人が結婚して子どもができ、その子らが大人になっている現況です。そこには、祖父母は存在しません。人は施設で老い病院で死んでいく時代になったのです。  だから、 人が生まれ、どのようにして死んでいくのかを知らない人がたくさんいます。 核家族のため、また、兄弟がいない一人っ子が多いため、人が生まれ、成長し、老いていくプロセスを互いに分かち合うことができないことから、 生まれてくる喜びや死んでいく悲しみを知る由もありません。  このような家庭環境では情操教育などできるはずはなく、無感動で、人の痛...

鉄は熱いうちに打て

「女子高生が教室で同級生刺し重傷!殺人未遂で現行犯逮捕!」このニュースに驚愕 女子高生が教室で同級生刺し重傷 殺人未遂で現行犯逮捕 横浜 2010年6月15日14時39分配信 産経新聞   15日午後0時25分ごろ、横浜市港北区篠原台町の私立清心女子高校から、「生徒が同級生に刃物で刺された」と119番通報があった。神奈川県警港北署員が駆けつけると、高校1年の女子生徒(15)が教室で同級生に右脇腹を刃物で刺されていた。女子生徒は病院に運ばれたが、重傷という。同署員が同級生の女子生徒(15)から事情を聴いたところ、刺した事実を認めたため、殺人未遂の現行犯で逮捕した。  事件発生時は、2時間目の国語の授業中で、女性教諭が黒板に向かっていたところ、教室の後ろ側が騒がしいため振り返ると、女子生徒が刺されていたという。  もう…これは異常事態ですね。動機が何であれ、今の子どもたちが如何に道徳意識に欠けるかを露呈したように思います。  しかも、女子生徒(男子生徒でも異常ですが…)が、学校に刃物持参(明らかに計画的)で登校し、授業中(相当な殺意)に犯行に及ぶなんて…。私には想定すら出来ません。  これはもう…絶対に異常事態です。子どもたちの道徳教育を早急に見直さなければ、この子たちが大人になって無秩序な社会を産み出し、この子ら自身が不幸を背負うことになりかねません。   「 鉄は熱いうちに打て! 」 と言います。(この意味は「鉄は、熱して軟らかいうちに鍛えよ。精神が柔軟で、吸収する力のある若いうちに鍛えるべきである、というたとえ。」であり、決して叩いたりして虐待してはいけませんよ!)  小さい頃から、人として社会(ここでいう社会とは、集団社会のことであり、保育所等も含みます。)に出る前に、人前で、あるいは相手(他人)に 「やって善い事と悪い事」 の区別がつけられるように、このことだけを意識して育ててほしいと思います。  この 「善悪の区別ができること」 が、人として生きていくうえで最低限必要なルールです。これさえできれば、他の学力等は成長とともに自然に身についていくものだと思います。善悪の区別ができない子どもに、たとえ学力や技術を身につけさせたとしても、その能力を悪事に使ってしまうことになっては元も子もありません。  ここで、子どもたちを正しく育てる...

子どもは親を選べない!

 近年、まともに育児のできない親が多すぎると思いませんか?一体、親になるまでにどのような教育を受けてきたのかと、親の親を疑ってしまいます。  先日のニュースを見て、このような虐待事件が激増している現実をどこかで断ち切らなければ、社会の秩序そのものが乱れてしまう!と悲嘆しています。不幸という「アリ地獄」に転落し、どんなにもがいても立ち直れない、正に「奈落の底」に堕ちる悲しい人生を送ることになるでしょう。  生後1ヶ月の子どもといえば、泣くのが仕事です。まだ言葉が解らないうちは、泣くことでしか自己表現のすべがありません。そんなわが子が 「泣き止まないから踏みつける」 こんなわがままが許される訳がなく、 「赤子の手をひねる」 ということわざにもあるように、こんな誰にでもできる造作ないことで泣く子を黙らせることができると思っている人に、親になる資格なんてないと思いませんか。  きっと、親のわがままな行動の結果、不本意に生まれてきた可哀そうな子どもに違いありません。でも、子どもは親を選ぶことができません。この子にしてみれば、こんな親なら産んでもらいたくなかったと思っていることでしょう。  この子たちが無事大人になったとしても、自分の親を本当の親と思いたくない(思えない)、親を親とも思わない人間を、繰り返し作ってしまうことになると思うのです。  こんな不幸な悪循環を断ち切るには、今はもう、 「大人の学校」 を作って、ここで 「親になる資格」 を取得しなければ、結婚することはもちろんのこと、子どもを産むことも許されない法律を制定しなければ回復できないところまで腐ってしまったような気がしてなりません。

善悪の区別

 公共の場での「ゴミのポイ捨て」から、果ては「殺人」に至る凶悪事件まで、身勝手な行為が横行する毎日。人間社会は一体どうなってしまったのでしょう。  これはまさしく、生まれたときからの「しつけ」が起因しているように思えてなりません。「 三つ子の魂百まで 」と、昔からの言い伝えがあるように、生まれた子どもが白紙の状態にあるときから、毎日の子育ての中で、少しずつ善悪を教え導いていくことが最も重要だと思います。  親の手から離れ、幼稚園や保育所等の団体生活に入る前に、最低限 「やって善いことと悪いこと」 を区別できるように育てることが、親の責務ではないでしょうか。  ところが、最近では、このことすら気づいていない親が増えているように思います。わが子を正しくしつけられずに、もがき苦しんでいる親たちの様子が毎日のようにニュースになり、更には、その親たちに育てられて大人になり(最近では大人になる過程で)犯罪者となってしまうことの悪循環をどこかで断ち切らなければなりません。  「家付きカー付き婆抜き(1960年代の若い女性が結婚相手の条件として使っていた言葉)」も、カー付きが当たり前の現在では死語となり、既に核家族が当たり前の時代となりました。「親から子へ子から孫へ」と教え伝授してゆける環境にない親が多い中、「わが子を正しくしつけられない親」をこれ以上作らないための 「親の学校」「大人の学校」 が必要な時代になってきたような気がします。