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子どもは親を選べない!

 近年、まともに育児のできない親が多すぎると思いませんか?一体、親になるまでにどのような教育を受けてきたのかと、親の親を疑ってしまいます。  先日のニュースを見て、このような虐待事件が激増している現実をどこかで断ち切らなければ、社会の秩序そのものが乱れてしまう!と悲嘆しています。不幸という「アリ地獄」に転落し、どんなにもがいても立ち直れない、正に「奈落の底」に堕ちる悲しい人生を送ることになるでしょう。  生後1ヶ月の子どもといえば、泣くのが仕事です。まだ言葉が解らないうちは、泣くことでしか自己表現のすべがありません。そんなわが子が 「泣き止まないから踏みつける」 こんなわがままが許される訳がなく、 「赤子の手をひねる」 ということわざにもあるように、こんな誰にでもできる造作ないことで泣く子を黙らせることができると思っている人に、親になる資格なんてないと思いませんか。  きっと、親のわがままな行動の結果、不本意に生まれてきた可哀そうな子どもに違いありません。でも、子どもは親を選ぶことができません。この子にしてみれば、こんな親なら産んでもらいたくなかったと思っていることでしょう。  この子たちが無事大人になったとしても、自分の親を本当の親と思いたくない(思えない)、親を親とも思わない人間を、繰り返し作ってしまうことになると思うのです。  こんな不幸な悪循環を断ち切るには、今はもう、 「大人の学校」 を作って、ここで 「親になる資格」 を取得しなければ、結婚することはもちろんのこと、子どもを産むことも許されない法律を制定しなければ回復できないところまで腐ってしまったような気がしてなりません。

善悪の区別

 公共の場での「ゴミのポイ捨て」から、果ては「殺人」に至る凶悪事件まで、身勝手な行為が横行する毎日。人間社会は一体どうなってしまったのでしょう。  これはまさしく、生まれたときからの「しつけ」が起因しているように思えてなりません。「 三つ子の魂百まで 」と、昔からの言い伝えがあるように、生まれた子どもが白紙の状態にあるときから、毎日の子育ての中で、少しずつ善悪を教え導いていくことが最も重要だと思います。  親の手から離れ、幼稚園や保育所等の団体生活に入る前に、最低限 「やって善いことと悪いこと」 を区別できるように育てることが、親の責務ではないでしょうか。  ところが、最近では、このことすら気づいていない親が増えているように思います。わが子を正しくしつけられずに、もがき苦しんでいる親たちの様子が毎日のようにニュースになり、更には、その親たちに育てられて大人になり(最近では大人になる過程で)犯罪者となってしまうことの悪循環をどこかで断ち切らなければなりません。  「家付きカー付き婆抜き(1960年代の若い女性が結婚相手の条件として使っていた言葉)」も、カー付きが当たり前の現在では死語となり、既に核家族が当たり前の時代となりました。「親から子へ子から孫へ」と教え伝授してゆける環境にない親が多い中、「わが子を正しくしつけられない親」をこれ以上作らないための 「親の学校」「大人の学校」 が必要な時代になってきたような気がします。

常識って何ですか?

 一昨日、いつもの電車で帰宅途上、駅構内から改札口に向かう学生(高校生?の男性)と60歳過ぎの女性の後ろを歩いていて目撃した驚きの光景です。  学生が何か(手帳サイズの冊子)を落とした模様です。その後ろを歩いていた女性がそれに気づき、学生に教えてあげたのですが…。 女性 「ちょっと…ちょっと!お兄ちゃん 落したでぇ!」  ご親切にも拾ってあげては、学生に渡そうとすると…。 学生 「いらん!」  女性は唖然としたようすで、そばにいた私の顔を見て「いらんてなぁ!?これどうしょう?」と、独り言を言うように話すじゃないですか。 私 「難儀やなぁ!しゃぁないやん…。ゴミ箱へ捨てたらぁ…。」  女性は、他人の捨てたゴミの後始末にゴミ箱に向かいました。  最近の若い人で「 常識 」のない人が多過ぎます。いや…それ以前に「 常識 」とは何かすら分かっていません。  だから、この学生は、「ゴミはゴミ箱へ」捨てなければならないことを理解はしているが、でも「面倒だからその場に捨てた」という訳ではなく、このことすら理解できていない、いわば幼少の「しつけ」をされずに育ってしまった不幸な人だと思います。  この場でのこの学生の心理は、「いらないから捨てる」という、ただこれだけの意識の働きでしかない正に単細胞な人で、これ以上の意識を働かすことができない人なのです。  例えば、このような人の行動に直面し、正義感を発揮して注意したとしても、相手は「 常識 」とは何かすら分かっていない人なのですから、「なぜ注意されたのか」が理解できません。  ここで更に注意しようと相手を罵倒するようなことにでもなれば、押し問答になり、お互いにエスカレートして逆上し、最悪の場合、殺人にまで至ってしまうのです。理解できない人に理解させようとしても、限度があり無理を生じるからです。   「♪無理は~よそうぜ~♪からだに~悪い~♪」 って歌がありましたねぇ…。故村田英雄の「皆の衆」かな?ええ~ッ!?古いって!?😅  そう言えば、作曲の市川昭介先生もつい先日逝ってしまいましたねぇ…。人生を教えてくれた演歌歌手や作詞・作曲の先生が亡くなっていくのは、寂しい限りです。  m(_ _)m 余談になってしまいました。  今は、見ず知らずの人(子ども)には、悪いことだと分...

人前で化粧する女性

 今日は、通勤ウォーキングの最中に駅構内及び電車内で二人もの女性(ひとりは大学生風)の露骨にも人前で平気で化粧する場面に出くわしてしまいました。  最近良く見かける光景ではあるにしても、私を含めてそばにいる人みな目のやり場に困っていました。自宅や化粧室でするのが当たり前でそれが常識と思っている私には、今、目の前で行われている情景が信じられませんでした。   日本女性の常識や羞恥心は、一体どこへ消え去ってしまったのでしょう。  すべては、自己中心的な考え方からできる行為だと思いませんか?  駅の構内や電車内等という場所は公衆の場ですよね。こういった公衆の面前で自分のやりたい放題のことができることに理解できません。  たぶん、このような行為のできる今の若い女性に聞けば、きっとこう答えるでしょう。「誰にも迷惑かけていないのに…。」「知らない人ばかりなのに…。関係ないです!」ってね!  公衆の面前でも、周囲の人の気持ちを無視して勝手な行為ができることに、驚嘆するよりほかありません。これを傍若無人と言わずに何と言うのでしょう!  これこそ、幼少の頃に不幸にも「 子どもの遊び 」を体験できなかったことが原因で、社会のルールを体得できずに育ってしまい、大きくなるまでに心の歪みを修正できなかった人のする行為と言えるでしょう。