常識って何ですか?

 一昨日、いつもの電車で帰宅途上、駅構内から改札口に向かう学生(高校生?の男性)と60歳過ぎの女性の後ろを歩いていて目撃した驚きの光景です。

 学生が何か(手帳サイズの冊子)を落とした模様です。その後ろを歩いていた女性がそれに気づき、学生に教えてあげたのですが…。

女性 「ちょっと…ちょっと!お兄ちゃん 落したでぇ!」

 ご親切にも拾ってあげては、学生に渡そうとすると…。

学生 「いらん!」

 女性は唖然としたようすで、そばにいた私の顔を見て「いらんてなぁ!?これどうしょう?」と、独り言を言うように話すじゃないですか。

私 「難儀やなぁ!しゃぁないやん…。ゴミ箱へ捨てたらぁ…。」

 女性は、他人の捨てたゴミの後始末にゴミ箱に向かいました。

 最近の若い人で「常識」のない人が多過ぎます。いや…それ以前に「常識」とは何かすら分かっていません。

 だから、この学生は、「ゴミはゴミ箱へ」捨てなければならないことを理解はしているが、でも「面倒だからその場に捨てた」という訳ではなく、このことすら理解できていない、いわば幼少の「しつけ」をされずに育ってしまった不幸な人だと思います。

 この場でのこの学生の心理は、「いらないから捨てる」という、ただこれだけの意識の働きでしかない正に単細胞な人で、これ以上の意識を働かすことができない人なのです。

 例えば、このような人の行動に直面し、正義感を発揮して注意したとしても、相手は「常識」とは何かすら分かっていない人なのですから、「なぜ注意されたのか」が理解できません。

 ここで更に注意しようと相手を罵倒するようなことにでもなれば、押し問答になり、お互いにエスカレートして逆上し、最悪の場合、殺人にまで至ってしまうのです。理解できない人に理解させようとしても、限度があり無理を生じるからです。

 「♪無理は~よそうぜ~♪からだに~悪い~♪」って歌がありましたねぇ…。故村田英雄の「皆の衆」かな?ええ~ッ!?古いって!?😅

 そう言えば、作曲の市川昭介先生もつい先日逝ってしまいましたねぇ…。人生を教えてくれた演歌歌手や作詞・作曲の先生が亡くなっていくのは、寂しい限りです。

 m(_ _)m 余談になってしまいました。

 今は、見ず知らずの人(子ども)には、悪いことだと分かっていても、注意のひとつもできない社会です。子どもですら集団で復讐行動を起こすことがある時代ですから、殺されないためにも「ノータッチ!」を装うことになります。

 たとえ、よその子の喧嘩に遭遇しても、「触らぬ神にたたりなし」と、見て見ぬふりをする始末。これはもう「世も末」というやつですかねぇ…。

 ちなみに「常識」とは、辞書では【一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。「―がない人」「―で考えればわかる」「―に欠けた振る舞い」「―外れ」】とあります。

 でも、辞書の中での『一般の社会人が共通にもつ』ことを皆ができてこそ「常識がない人」がひとりもいなくなる訳ですが、今では自由を尊重するあまり統制のとれた「しつけ・教育」ができていないため、「常識」そのものが根底から崩れ去ろうとしているように思えてなりません。

ええーッ!? 井川が涙の完投!?マウンドで感極まった!?やればできるじゃん!