程度の知らない人
喧嘩がエスカレートするあまり、殴る蹴るの果てに相手を殺してしまったり泣く子を黙らせたい親のわがままな体罰で死ぬまで攻め続けたりと、「 程度の知らない人 」が多くなったと思いませんか? 未成年者に多いのが最初の事例で、初めはいたずらや冗談のつもりがエスカレートして口喧嘩となり、そこから殴る蹴るの大喧嘩に発展して、挙句の果てには相手を死に至らしめてしまう。 また、若い夫婦に多いのが後の事例で、これも最初はしつけのつもりが度を越して、泣きわめく我が子を黙らせたい思いから起こす体罰が徐々に虐待に発展し、それを繰り返すうちに限度を超えてしまう。 このような事件を起こしてしまう人の背景には一体何があるのでしょう。 まず、思いつくのは人の痛みが分からないということでしょうか。 取り返しのつかない事になるまでエスカレートする前に、相手の立場に立って、「自分が言われたら…自分がされたらどう思うか」を考えてみるべきですが、たぶん、このような冷静な判断ができない人なのだと思います。 それでは、なぜ、このような「 程度の知らない人 」を作ってしまうのでしょう。そこには、幼児期のしつけや情操教育が如何に行われたかが大きな要素となっていると思うのです。遅くとも小学校に入学するまでに教育されてしかるべきではないでしょうか。 しかし、中には、夫婦共働きで家族間の交流が少ない環境で育ち、情操教育など受けられずに「身体だけが大人」の人を作ってしまう家庭も多いと思います。それでも、祖父母らが家にいて、子どもの面倒をみることができる家庭環境にある場合は、このようなことは起こりにくいと思うのです。 それが、核家族化が進んでしまった現在では、すでにそんな核家族で育った大人が結婚して子どもができ、その子らが大人になっている現況です。そこには、祖父母は存在しません。人は施設で老い病院で死んでいく時代になったのです。 だから、 人が生まれ、どのようにして死んでいくのかを知らない人がたくさんいます。 核家族のため、また、兄弟がいない一人っ子が多いため、人が生まれ、成長し、老いていくプロセスを互いに分かち合うことができないことから、 生まれてくる喜びや死んでいく悲しみを知る由もありません。 このような家庭環境では情操教育などできるはずはなく、無感動で、人の痛...